デザインスタイル
子供の頃、家にあった西洋美術全集をときどきながめた。中世の西洋絵画は宗教画としてかかれたものがおおく、題材や色調がくらかった。そしてなにより、装飾過剰に見えた。もっとあとの時代だと、セザンヌの女性はふとっていたし、ユトリロの女性の首はながく奇妙だった。ダビンチのモナリザにしても美人とはおもえなかったし、荒々しい山を背景としていて奇妙だった。
建築なども装飾過剰で、こうした創作をしなければいけないのなら、美術はむかないとおもった。ガウディのサグラダ・ファミリアやカサ・バトリョなどは、見るだけなら良いけれど、自分の空間にはしたくないとおもった。美術の教科書などでも、こうした作品がのっていた。美術は装飾のことなのだとおもっていて、好きになれなかった。(子どもに美術をおしえようとすると、きっとこうした題材で精一杯なのだろう。)
けれど大人になって、何人かのデザイナーとしたしくなって、別のスタイルがあることをおしえてもらった。バウハウスデザインや北欧デザイン。デザイン研究所の所長はバウハウスについてくわしくおしえてくれた。さらに建築家としたしくなると、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエといった建築家を知ることになった。そして、すこしずつこうした作品を見るようになった。こうしたモダンデザインはすっきりとしていて気に入った。
椅子ひとつとってもフランスや英国の装飾的なものもあれば、イタリア、ドイツ、北欧などの製品のようにシンプルな曲線を生かしたものもある。特にデンマークのヤコブセンやハンス・ウェグナーの曲線のうつくしさに惹かれた。
そして日本にもまたこうしたデザインがあることを知った。建築の安藤忠雄、民芸運動の流れ、各地の家具職人の作り出す椅子などだ。そして長野の山奥を本拠地とする家具職人の人ともしたしくなった。カトラリーや食器づくりの人とも話をするようになった。そうしたものは絵画や彫刻とはちがうかもしれないけれど、やはりアートだ。デザインのスタイルにはさまざまなものがあるということを知った。それはおおきなよろこびだった。
建築家と話をしたときにこんな話をした。大切なのは機能としての空間だとおもいます。空間をしきる壁そのものが意識にのこるのはどうなのでしょうか。空間の仕切りに視覚的なノイズがあるのは好きではありません。ノイズがすくなくて空間が快適な建築や壁が好きです。
こどものころから美術に感じてきた印象だった。