暮らし方

子どもの頃、團伊玖磨さんのエッセーをよく読んでいた。そこにこんな話があった。團さんは葉山ですごしていたけれど、大きな曲は八丈島にある別荘にこもって書いていた。春、八丈島にわたり曲をかきはじめた。季節は過ぎ、秋がおとずれるころ、曲ができあがった。ガラス戸をあけると家の前には海が見え、斜面にはうつくしくひかりかがやくススキがあった。

村上春樹さんのエッセーにはこんな話があった。原稿用紙をもってイタリアにわたった。そこで毎日、作品を書いていた。やがてギリシャの島にうつり、そこで暮らしながら小説を毎日書いていた。朝はやく起き、はしる。家にもどってきて、午前中は、しっかりと小説を書く。とにかく書く。作品の良し悪しは気にせずとにかく毎日書く。書いていくうちに、日常の世界から、あちらの世界に移行する瞬間があらわれてくる。そうなるためには毎日机にむかいつづける。午後は夕食の準備をしたり、本を読んだり音楽を聴いてすごす。夜ははやめにねむる。

こうした文章を読んで、仕事というのはこうやってするものだとずっとおもっていた。大人はこうやって生きて行くのだろう、と。そして、いま、子どもの頃からおもいえがいていた暮らしをしている。

はしり、机にむかい、音楽をきく。あまり出かけることはない。人と会うことはすくない。新聞、雑誌、テレビはあまり見ない。ラジオは聞いているから世の中とのつながりは多少ある。

これがふつうの暮らし方だろうとおもっていた生活をしている。ささやかな、そしてたしかな手ごたえのある生活だとおもう。