哲学、思想といわれるもののなかで中国の古代思想である老子が好きだ。これはプラグマティズムと相性がいいとおもう。古代中国と、現代のアメリカの思想で、時間的にも空間的にもずいぶんへだたったところで誕生したものだけれど、ちかいとおもう。 老子は自…
二人のピアニスト 西村由紀江さんと中村由利子さんのピアノを聴いた。日頃からこのお二人の音楽は良く聴いている。心の奥底のやわらかな部分にそっとはいりこんでくる。 西村さんの本を読んだことがある。すてきな本だった。ちいさかったころ、人前で話せな…
子どもの頃、團伊玖磨さんのエッセーをよく読んでいた。そこにこんな話があった。團さんは葉山ですごしていたけれど、大きな曲は八丈島にある別荘にこもって書いていた。春、八丈島にわたり曲をかきはじめた。季節は過ぎ、秋がおとずれるころ、曲ができあが…
しだれ桜の木をながいこと見てきた。おおきな木で春になると薄いピンク色の花がきれいだった。柳の枝のようにやわらかでおおきくふくらんだ枝に花が咲く。風が吹くと花吹雪が散る。本当にずっとながい年月見てきた。 他にも見ている人がいると、おたがいに綺…
子供の頃、写真が好きだった。撮るのも見るのも好きだった。けれど次第に写真を撮らなくなった。 写真を撮ったとして、いつ見るのだろう、とおもったのだ。 けれどサヘル・ローズさんの写真を見ていておもった。写真を撮ろうか。彼女がとった写真は彼女の心…
昨年した寄附の税額控除用書類を準備している。自分自身であれこれできないとしても、解決されるといいなとおもう課題がある。そうしたことについてわずかだけれど協力をしたいとおもって寄附をした。 日本では寄附はすくないとおもわれているかもしれないけ…
サヘル・ローズさんという女優がいる。イランに生まれ、壮絶な人生をおくってきた人だ。戦争で家族をうしない、瓦礫のなかからすくい出された。そして孤児院でそだった。だから正確な誕生日はわからない。やがて一人の女性に引き取られたけれど、そのことを…
おおくのことをわすれている。いや、そもそも、おぼえていなかったのかもしれない。特に20代後半以降のことを、あまりおぼえていない。さまざまな仕事や、会った人のこと。もともと人の名前をおぼえるのは苦手だった。ときどき会っているならば人のことを…
魚を買いにいった。ムニエルやフライ用の白身の魚が欲しいとおもっていたのだけれど、ちょうど適当なものがなかった。刺身用の魚がおおかった。 中華料理やフランス料理とはいわないけれど、火を使った魚料理を食べたいとおもった。 たとえばフィッシュ アン…
子供の頃、家にあった西洋美術全集をときどきながめた。中世の西洋絵画は宗教画としてかかれたものがおおく、題材や色調がくらかった。そしてなにより、装飾過剰に見えた。もっとあとの時代だと、セザンヌの女性はふとっていたし、ユトリロの女性の首はなが…
好きな映画。ハリウッド映画のような派手な映像や、起承転結のはっきりした物語があるわけではなく、たんたんとした日常がえがかれる。心のなかにふかくはいりこんでくる。 舞台はフィンランドの首都ヘルシンキ。ここで食堂をはじめたばかりの日本女性とそこ…
このCDを聴くと英語ができるようになる、あるいはこの機械をつかえば腹筋の力がつき、やせることができる、といった宣伝がある。すばらしい、とおもう。わずか5分でいい、というのはおかしい、という人もいるけれど、やれば効果はあるとおもう。 けれど大変…
今年、サラ・オレインのCD、Sarahをよく聴いた。はじめて聴いた時、気付かないうちに涙がながれていた。家で無防備に聴いていて、心にガードがかかっていなかった。こういうCDは家でひとりで聴くもので、人前では聴けない。 特にBeyond the Skyという曲を繰…
今年の夏、ギタリストの佐藤正美さんが亡くなった。一昨年、佐藤さんと食事をした。あらかじめ買いたいとおねがいしていたCD3枚をそのとき持ってきてくれて、目の前で1枚1枚にサインをしてくれた。 わたしは佐藤さんを通じておおくのボサノバを聴いた。い…
衣類をかたづけている。Tシャツ。Tシャツにはそれぞれおもいでがあるけれど、数枚をのこして処分する。マラソン大会などに参加した時のもの、国際会議、あるいは旅先で買ったものなどを、処分する。着ているうちにいたんだものや、変色したものもある。小説…
年末になるとあちこちでベートーベンの第九交響曲の演奏会がひらかれる。 中学の時、試験で名曲と思う曲は何か、という問題が出ると言われていた。そしてそのときはこの曲を書けば良いといわれていた。けれど、わたしはこのシラーの詩が、いやだったので、ド…
パイプオルガンを聴きに行った。オルガンは年に何度か聴くけれど、この日は午後の演奏だった。帰宅が遅くならないので、気軽に行ける。 演奏会の前に、近くの喫茶店で紅茶を飲み、本をひらく。静かな時がながれていく。そして会場に行く。しあわせな時間。 …
二十歳の頃アルベール・カミュの小説「異邦人」を読んだ。あまり感じるものはなかった。最近このさわりを読みなおして、感じるものがあった。この本は日本に紹介された当時、きっと強い印象をあたえただろうとおもうけれど、社会的規範がかわった今、どのよ…
何冊かの本を読みたい、とおもっていた。おおきかったりおもかったりして持ちあるくのに不便な本や、辞書をひかないといけないために手軽には読めない本だ。電車の中では読むのはむずかしくて、読まなかった。けれど、いよいよ読むことにした。時間をかけて…
歌のことをフランスではシャンソンと言い、イタリアではカンツオーネと言う。そのとおりなのだけれど、日本人がおもい浮かべるシャンソンやカンツオーネは特定のタイプのものだ。カンツオーネでは、あまいテノールで歌われるものがおもい浮かぶ。わたしはカ…
セミナーに出席した後、たまに行く店に立ち寄り、カウンターにすわって簡単な食事をした。ここはできてからまもなく1年になる。ちいさいけれど、快適だ。コンクリートで囲まれた、しずかな店。特別におしゃれできれいな店というわけではない。けれど、気に…
毎日、朝はしっている。以前から週末ははしっていたのだけれど、今は毎日はしっている。おおくの人は毎日1~2時間、通勤・通学につかっているのだから、毎日はしってもどうということはないはずだ。ゆっくりと1時間程度はしるだけだからたいしたことはな…
おもいだすことがある。いくつかの情景や、言葉だ。それは現実の事柄だったにはちがいないけれど、ある種の抽象的なイメージとしてわたしのなかにある。 あまりたのしくない用事からもどってきた。机の上にメモがあった。「冷蔵庫のなかにケーキを入れておい…
書類の整理をしている。気になる資料をとっておいたら、かなりの量になっていた。いままであまり整理していなかったのだから当然だ。まずは机のまわりにあるものから、どんどん整理している。といってもほとんど捨てる。ゴミ箱がすぐにいっぱいになる。まと…
あるところで、仕事をしていた。ずいぶんながいことしてきた。けれどその関係を終え、自由になった。どこにも属さないで良いというのは良い。どこそこの誰です、と言わないですむ。わたしはわたしだ、と言える。これからは一人の人として生きることができる。
一人で数学を進める数学者がいる。こうした人について書いておこう。数学をすることに熱中すると(別の分野でも同様だろう)、それ以外の雑務にひっぱりだされることをきらう。普通の人でもみんな感じることだ。特に変人というわけではないだろう。 グロタン…
「わたしに会うまでの1600キロ」という映画を見た。ふかく心に感じるものがあった。本も手に入れて読んだ。原作はWildといい、アメリカでも発売以来、よく売れた本だという。この本はシェリル・ストレイドという女性によって書かれた。小説ではなく自叙伝だ…
瀬戸内海の直島に行った。美術の島といってよいところだ。ここで美術館や様々な作品を見てあるいた。建築家の安藤忠雄と彫刻家などとの共同作品がある。わたしが特に気に入ったのはリー・ウーファン美術館。ゆたかな自然のなかに、コンクリートで遮断された…
国際会議に出席した。 はじめて国際会議に出たときのことをおもいだした。このときわたしは事務局をし、論文集の編集もした。そしておおくの発見があった。 国際会議といってもヨーロッパの人にとっては特別のことではなかった。ごくちかいところにたくさん…
中学に入学したとき最初、部活動でとまどった。学校側では入部は義務だと言った。わたしは、体がちいさく、よわい人間でもできるトレーニングプログラムのようなものがあればいいなとおもっていた。勝ち負けといったことにこだわらず、きちんと体づくりをで…