3ヶ月

このCDを聴くと英語ができるようになる、あるいはこの機械をつかえば腹筋の力がつき、やせることができる、といった宣伝がある。すばらしい、とおもう。わずか5分でいい、というのはおかしい、という人もいるけれど、やれば効果はあるとおもう。

けれど大変なのは「すること」。5分でも毎日つづけることは大変だ。もし毎日5分することができるようになったらば、それを10分、15分とすることはそれほどむずかしくない。大変なのは、毎日わすれずにCDを聴いたり、機械をつかって運動すること。多分それぞれの教材や機械の内容は良いだろうとおもう。

大切なのはとにかく3ヶ月つづけること。毎日5分でいいからつづけること。

毎日はしるようになって3ヶ月たった。雨の日などは、はしっていない。だから厳密には毎日ではないけれど、ほぼ毎日はしっている。コースは多少変えたところがある。水飲み場などがある公園の脇や、時計が見えるところをとおるようにした。慣れるにつれて、はしるのははやくなり、走行時間がみじかくなってきた。けれど距離をながくするといったことはしていない。同じコースで良いので、つづけようとおもう。

3ヶ月もすると体のなかの細胞は半分ぐらい入れ替わるという。だから3ヶ月前のわたしと今とでは物質的にかなり入れ替わっているはずだ。体重は1キロほどへった。ウェストは多少ほそくなったようだ。どんな分野でも、とにかく3ヶ月はつづけてごらん、というけれど、なるほど、とおもう。

学校の体育ではしるのは苦手できらいだったけれど、いまは好きだ。かぎりなくゆっくりと、「一人で、人のことを気にせず」はしるのは、気持ちがいい。きっとはしることはわたしに合っているのだろう。

三木清は人生論ノートのなかで、人生で大切なことは、習慣を自分で身につけられるようになることだ、と書いていた。この本を10代の頃読んだとき、なるほど、とおもった。このところ、わたしはおもう。自分で好きなことならば、つづけられる。そして、どうやら、「このみ」はほとんどかわらない。だから、3ヶ月つづけられるかどうかやってみて、すきなことを見つければ良い。つづけられることが、きっと好きなこと、なのだろう。