わたしに会うまでの1600キロ

「わたしに会うまでの1600キロ」という映画を見た。ふかく心に感じるものがあった。本も手に入れて読んだ。原作はWildといい、アメリカでも発売以来、よく売れた本だという。この本はシェリル・ストレイドという女性によって書かれた。小説ではなく自叙伝だという。

アメリカ西海岸の1600キロにおよぶトレッキングコースを26歳の女性が3ヶ月間一人であるいたときの話で、話がすすむにつれ、著者の壮絶なそだちが次第にあきらかになっていく。

おおきなバッグパックにテント、寝袋、食料などの生活物資をしょって一人あるく。砂漠を、山を、酷暑の中、雪に埋もれた極寒のなかをあるく。冒険のロマンもあるけれど、一方きわめてきびしい。しかも彼女はそれまで登山などの経験があるわけではなく、はじめてこのアドベンチャーをおこなった。トレッキング途中の自然の描写はうつくしく、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」以来のアメリカの自然回帰への伝統も受け継いでいる。

このトレッキングをはじめたきっかけは、彼女の母親の死だった。45歳の若さで彼女は亡くなる。肺がんだった。姉、弟のまんなかだった主人公は母親の死を看取る。母子家庭の貧しい生活のなか、母親は楽天的で、無常の愛をそそいでくれる愛の人だった。実の父親は酒に酔うと暴力をふるった。このため、両親は離婚し母子家庭での生活となる。やがて、母親は再婚し義理の父親と一緒の荒れた農地での生活がはじまる。まずしい生活のなかでも母親はほがらかで、一杯の愛情をこどもにそそいだ。娘には大学進学をすすめ、親は無料で大学の講座をうけることができるという特典をいかし、娘と同じ大学でまなんだ。しかし母親の死のため、主人公は卒業できなかった。残ったのは返済しなければならない多額の奨学金だった。

主人公は19歳で結婚する。しかし最愛の母親の死は彼女におおきな傷をのこし、生活がくるいだす。自傷行為のようにして行きずりの男たちと夜をすごす。麻薬を打ってのセックスをし、妊娠中絶をする。告白を聞いた夫は別の女性との夜をすごす。二人はお互いを思いやりながらも、離婚する。彼女はウェイトレスの仕事で生活しながら、自然のなかをひたすら歩くパシフィック・クレスト・トレイルへの夢を持つようになる。メキシコ国境からアメリカ西海岸沿いの自然のなかを歩き、カナダ国境までの1600キロを歩くコースだ。

旅ではうさぎやキツネなどに出会うだけではない。ガラガラヘビに出会い、クマにおびえる。中継点に食料を送っては補給していくものの、水が無くなり脱水症におちいりそうになる。十分な食料をとることはできず、体重は落ちていく。合わない靴のため靴擦れがおき、爪がはがれる。バッグパックが腰とすれることで、皮膚がはがれる。彼女は十分なお金をもって旅をはじめたわけではなかった。何箇所かの中継点にはあらかじめ食料と現金をおくっているけれどそれぞれ20ドルほどだ。他のトレッキング仲間が中継点で食事をしていてもがまんする。安定した十分な収入がなかったため、彼女はクレジットカードも持っていなかった。

さらに女性をねらう男の視線もときおりあって注意をしなければならない。とはいえトレッキングの途中彼女は一度だけ、人肌が恋しくなり男性と一夜をともにする。トレッキングの荷物のなかに、最初から避妊具を入れていた。無駄な荷物だとして、途中でこれを処分するがそれでも一つだけをポケットにそっとしのばせる。彼女の孤独を感じさせる。

自然のなかを一人ひたすらあるく。そのなかで彼女は過去を振り返り、母親、義理の父、弟や姉との関係、そして結婚・離婚の傷から解き放たれていく。あらたに一人で生きる決意がわいてくる。自傷行為だったセックスが、愛と感じられるようになる。旅の仲間たちとの出会い、別れは彼女の救いとなる。ともに旅するもの同志だからこそわかりあえるものがある。(トレッキングでなくても生きていく上での同志はいる。それはおなじ方向を向き、おなじように感じるものの間にだけつたわるものだ。これもまた旅の仲間と言って良いのだろう。)

旅の終わりにポケットにあったのは20セント。それしかないけれど、希望に満ちていた。