おまもり

おもいだすことがある。いくつかの情景や、言葉だ。それは現実の事柄だったにはちがいないけれど、ある種の抽象的なイメージとしてわたしのなかにある。

あまりたのしくない用事からもどってきた。机の上にメモがあった。「冷蔵庫のなかにケーキを入れておいたから食べてね。」ケーキはおいしかった。けれどそれ以上にあたたかなものがそこにあった。

タフな日々がつづいていた。誰にも理解されなくてもいいとおもっていたし、人にたよろうとはおもっていなかった。けれどあるメッセージがつたわってきた。大丈夫、わたしにはわかる。だれも理解してくれないとおもっているかもしれないけれど、そして世界中にたった一人かもしれないけれど、あなたを理解する人はいる。がんばってとも言わないし、手助けもできないけれど、そのことは知っておいてほしい。あなたは一人じゃない。具体的に話された言葉ではなかったかもしれない。けれど、それは、きわめてはっきりとつたわってくるメッセージだった。

体調をくずしたり、きびしい状況がつづくことがあった。そんなとき言われた。水をのみなさい。お茶でもコーヒでもいいけれど、とにかく水を飲みなさい。水は血管のなかのながれをサラサラにする。顔をあげ、手をやすめ、水を口にすることで、つづいていた緊張がやわらいだ。体も心も楽になった。それ以来、何かあるとわたしは水を飲む。そのとき聞いた言葉とともに体のなかにはいってくる。

宗教やスピリチュアルなことがらを信じてはいない。けれど、こうしたやわらかであたたかなイメージは、わたしのなかのふかいところにある。きびしい状況のなかにあるときもこうしたイメージはわたしを楽にしてくれる。お守りだとか特別なものをもっているわけではないけれど、こうしたイメージがわたしを守ってくれる。そしてそれは決して消えることがない。