文書整理

書類の整理をしている。気になる資料をとっておいたら、かなりの量になっていた。いままであまり整理していなかったのだから当然だ。まずは机のまわりにあるものから、どんどん整理している。といってもほとんど捨てる。ゴミ箱がすぐにいっぱいになる。まとまったらゴミ袋に入れる。ゴミ収集の日にもっていってもらおう。

フードプロセッサや椅子などモノの資料、行ってみようとおもう旅行先やレストランの案内、ロープのむすびかたなど、いろいろ出てくる。わたしの関心をしめしている。大半は捨てればいい。ふるい資料はいらないし、すでに行ったところもおおい。ロープの結び方などはすぐにしらべられるから資料はいらない。どうしても気になるものはファイルしたり、メモにしておく。メモはパソコン上のデータベースに書く。けれど実は記憶の奥底にあればそれでいい。そこから浮かびあがってくるものがもしあるのなら、いくらでもしらべることはできる。そのときは、ちゃんとやろう。おもいださなければもうわたしにとって重要ではないということだ。

いつかは読み返すかもしれない。そういうものの大半は処分する。おそらく読み返すことはもうないはずだ。本もそうだ。持っている本をこれから読みかえすことは、おそらくないだろう。今までは辞書などはずっと持っていようとおもっていたけれど、辞書ですらかなり処分してよさそうだ。自分で書いた様々な記録や原稿なども、処分して良いだろう。

手紙やアルバムなどは記念にとっておこうとおもっていたけれど、きっととっておきたいとおもうものはわずかだろう。見返すことはほとんどないようにおもう。

手元に残るのは、これから行く旅行先や店の資料。読もうとおもうわずかな本や資料。これからのわたしの行動指針となるもの。そうだとすればわずかなものだ。

日々、整理だけをしてすごすわけにはいかない。それでもすこしずつしていけば、1年ぐらいでできるだろう。

鴨長明は最後にちいさな箱3つ分の資料を持っていただけだという。その程度にできればいいなとおもう。

体ひとつあればなんとかなる。体ひとつで生まれ、そして去っていく。それが基本だ。