会話

セミナーに出席した後、たまに行く店に立ち寄り、カウンターにすわって簡単な食事をした。ここはできてからまもなく1年になる。ちいさいけれど、快適だ。コンクリートで囲まれた、しずかな店。特別におしゃれできれいな店というわけではない。けれど、気に入っている。ここに来るとリラックスできる。人と一緒に来たことはない。わたしにとってこんな店があるのは不思議だ。

ひとつ間をおいて隣に外国人の女性がすわった。どちらからともなく話をした。彼女はアメリカ人で南カリフォルニアに住んでいるという。仕事を辞め、2週間の予定で旅行している。京都で見た紅葉はきれいだった。日本に来て、英語で話をしたのはこれが2回目。あなたはきれいな英語をはなすけれど、どうしてはなせるの。ありがとう、英語は学校でならったから、はなせます。そうですね、英語をはなすこと自体はあまりむずかしくないです。それより、日本語であっても人と話をするのは、必ずしも得意ではないです。人と人とがはなすとき、相手のものの見方によって、話が通じることもあれば、通じないこともありますよね。ことば以前のそういうことが大切だとおもいます。話が通じる人と出会うのはなかなか大変ですよね。

お互いにグラスを手にとって、そんな話をしていた。こんな風にリラックスして人と話をするのはひさしぶりだ。なぜだろう。この場所がわたしをリラックスさせてくれたのかもしれない。

彼女はこの2週間で2回しかちゃんと話をしていないという。けれどわたしだってたいしてちがわない。あまり人とはなすことはない。事柄をめぐる話はすることがあるけれど、それは話を呼べるものなのだろうか。切符の自動販売機にお金を入れるようなものだったのかもしれない。

このところ、交流のあった様々な人から、送別会をしてもらった。セミナーでは挨拶をした。けれどこうした日々がおわり、しずかな生活がはじまる。人とはなすことはすくなくなるだろう。

人と会いたければ自分から連絡すればいい。けれど、わたしが会いたいからといって、相手がこちらと会いたいかどうかはわからない。コミュニュケーションのジレンマだ。人と人との関係は、基本的に片思いだ。だから会ってくれるかどうか、両思いであること、をそのたびに確認していく。こうしたステップをかんがえると、人と会うことに躊躇してしまう。

ちゃんと話をしたのはひさしぶりだった。