カンツオーネ

歌のことをフランスではシャンソンと言い、イタリアではカンツオーネと言う。そのとおりなのだけれど、日本人がおもい浮かべるシャンソンやカンツオーネは特定のタイプのものだ。カンツオーネでは、あまいテノールで歌われるものがおもい浮かぶ。わたしはカンツオーネのあかるさが好きだ。このところ良く聴くのは、IL Volo (The Flight 、飛ぶこと)というわかい3人組のグループ。彼らはまだ10代のときにデビューしていて、今もまだわかい。

彼らの2つの曲について書こう。

最初に、「IL MONDO(この世界)」。1965年にジミー・フォンタナがヒットさせた曲で、イタリアらしい愛の歌。英語での歌も一度聞いたことがあるけれど、なんだか違和感があった。聴くときはイタリア語で聴きたいとおもう。

この歌は女性もうたっている。イタリアではミルバがうたっているし、もっとしっとりとうたっている人もいる。こんな歌を歌われたら頭のなかはとろけてしまう。わたしはIL Voloの抜けるようなあまい歌声のバージョンが好きだけれど、年配の大人が歌ってもイタリア語やフランス語ならば、違和感なく心の中にはいり込んでくる。日本語だときっと違和感があるだろう。

訳してみよう。
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”IL MONDO(この世界)”

そばにいて、ぼくのそばにいて欲しい
決してはなれないと言って
どれほど君を愛しているのか、
どれほど君を必要としているのか、
どうか信じて
君の腕のなかにいれば、ぼくはしあわせ
君の唇でぼくはしあわせになれる

この世界、君の愛こそぼくが欲しいもの
ぼくのこの世界で、優しいキスにかけて、どうかお願い
君なしでどうやって生きていけばいいのだろう
この世界、僕の心は君にとらわれている
どうかそのおもいをわかって
そして、決して、はなれないと約束して
ずっとぼくの腕の中にいると言って

世界はまわる、宇宙で終わることなくまわる
たった今生まれた愛、そして過ぎていった愛とともに
ぼくのような人々のよろこびとかなしみとともに

この世界で、ぼくは今、君を見ることができるだけ
君の声が聞こえなくなると、ぼくは消えてしまう
君の前で、ぼくはちいさな存在
この世界はすこしも止まったりはしない
夜が終われば昼が来る
そう、昼が来るのさ

この世界、この世界
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二番目の歌は、"La luna hizo esto(月のせいさ)”という曲。これもまた、あまくとろけるような曲で、歌詞はスペイン語だ。イタリア語、スペイン語などラテン系のことばはこうした内容にとても合う。(子音がつづき、母音や濁音がすくないせいだろうか)
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"La luna hizo esto(月のせいさ)”

それは月のせいさ
月がしてしまったのさ
ぼくが恋に落ちたこと
君との恋に落ちたこと
月のかがやきは、君の瞳のなかにあるぼくの幸せ
それは月のせいさ

月がゆっくりとしたんだ
ぼくのこころを燃え上がらせてしまったんだ

そんなやさしいことをしてくれたことにお礼しよう
月がぼくの心に魔法をかけたのさ
恋に落ちることなんてかんがえたこともなかった
月のせいで夢が現実になったんだ
いま、君はぼくの世界

月のせいさ
月がしてしまったのさ
月がこんなことをしたんだ

ぼくが恋に落ちるなんてかんがえたこともなかった
月のせいで夢が現実になったんだ
いま、君はぼくの世界

月のせいさ
月がしてしまったのさ
ぼくが恋に落ちたこと
君との恋に落ちたこと
月のかがやきは、君の瞳のなかにあるぼくの幸せ

これは月のせいなんだ
これは月のせいなんだ
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