部活動

中学に入学したとき最初、部活動でとまどった。学校側では入部は義務だと言った。わたしは、体がちいさく、よわい人間でもできるトレーニングプログラムのようなものがあればいいなとおもっていた。勝ち負けといったことにこだわらず、きちんと体づくりをできるようなプログラム。けれど、そんな部や、気に入った部はなかった。体育系のものは精神主義的で、上下関係があった。新入生はボールひろいや素振りだけで、上級生がコートをつかうといったものだった。そもそも12歳の人間が15歳の人間に対して先輩と言うのはなんだろう。ばかげているとおもった。そしてスポーツを楽しむためのものなのか、勝つためのものなのかが明確ではなかった。はじめておこなうスポーツでも実質的な指導などは行われていないように見えた。先生や指導者がいなかった。いや授業にまったく出なかったけれど(いきなり自習の時間がつづき、1年間まったく授業がなかった)、クラブの指導だけは熱心に出てきて、地区大会の優勝を狙っている先生もいた。さてどうすべきだろう。

中学のクラブ活動は、正規の教育活動とは位置付けられていない。先生の指導は単なるボランティアとしておこなわれていた。企業などでいう違法なサービス残業だ。予算や人員の手当はなく、専門性をもった指導などを期待することはできない。事故がおきても仕方がないだろう。先生がボランティアや無償の努力をしているということで感動するといった話ではない。ましてや、その肩代わりを親に期待すべきものでもないだろう。

わたしはクラブ活動は国や地方自治体などできちんとさだめられたものではないと先生に言って、入部のための用紙を書かずにいた。翌週、先生が、なんでも良いから書いて欲しいと言った。校長先生の方針だからというのが先生の言葉だった。

校長の方針というのは、理念だけということだった。学校は勉強だけでなく、部活動などを通じて全人的教育をします、という理念。学習は、学校の勉強をしっかりやれば大丈夫です。こうした言葉はうつくしくひびく。ただし予算も具体的な指導もなく、理念だけ。そんなことがあちこちで繰り返されていた。そうじはみんなでしましょう。グループ学習で相互に教え合うことで理解がふかまります、とうたわれていた。けれど、おおくの生徒がそうじをさぼっていた。グループ学習では教える側と習う側が固定化していた。単に先生が指導を楽にする手段でしかなかった。3年になり受験がちかづくと、おおくの親が言った。受験指導はどうなっていますか。校長は、学校では受験指導のようなゆがんだことはしません、全人的指導が方針です、と言った。保護者会でのおおくの親の反応:それでは受験については塾でさせれば良いというのですね。校長:学校で認めるという話ではありません。親:なぜ入学時にそういうことを言ってくれなかったのですか。いまからでは、十分な効果は期待できませんと塾で言われました。

国や地方自治体などの方針ではなく、校長の、あるいはこの学校固有の方針なのですね、とわたしは確認した。そして先生にこれはさだめられたものではないですよね、と繰りかえし言い、本当になんでもいいんですね、と確認し、適当に入部届けを書いて提出した。

これ以降(中学1年生の春以降)わたしは校長先生、学校と一人で交渉することになった。親には何も言わなかった。なんでもいいからといって適当に書いて提出したクラブにはまったく出なかった。この年の秋、3年生の部長から呼び出された。何をいっても無駄だった。制度的には出なくてもよいはずだ、といった議論が通じるような相手ではなかった。

授業に期待してもむだだと思った。それで3年間、一人でまなんだ。けれど一人、学校と交渉することでわたしは成長した。担任や、授業をする先生だけでなく、校長、そして学校というシステムと一人で向き合った。個人が組織とたたかっても勝つことはむずかしい。それでもわたしはむきあった。

卒業時の文集には、学校は授業だけすればいい、位置付けのはっきりしないクラブ活動は止めてほしい、少なくても義務にはしないでほしい、と書いた。学校は正規の授業を通じた教育をしてくれればいい。あえていうならば、受験教育をするほうがまだしも正規の役割に合っている。中途半端なことをして、生徒を迷わすことはしないでほしい、と書いた。