空想の友達

小学校に入学するころまでの子どもには、空想の友達(Imaginary Friend)というのがいることがあるという。そして、それは、子供の成長に役立つという。ちいさな子どもが自分の心のなかに自分以外の存在、他者をつくりだすのはおおきなことだ。

ちいさいときに白熊のぬいぐるみをもっていた。そしてこのぬいぐるみと話していたような気がする。実在の人でなくても、きっと仲良くできたのだろう。

中学生になったころ、外から自分をみている自分を意識するようになった。数学などを解くときには、解いている自分に、チェックポイントをチェックするようにかたりかける自分がいた。自分のなかに「空想の自分」がいたのかもしれない。まわりでは、ともだちがどうのという話があったけれど、わたしは一人でも生きていけるのではないか、とおもっていた。学校に行くよりは一人でいるほうがいい。人間関係は大事かもしれないけれど、人はわたしではない。独立した存在としての人はいいけれど、べたべたしたものはいやだとかんがえていた。「空想の自分」と話をしている方が良い。

大人になって、信頼できる人に出会った。この人とはなすのはたのしかったけれど、ゆっくりとはなす機会はあまりない。

この人ならどう言うだろうとかんがえることがある。実際に会ってはなすわけではないから、これもまた「空想の友達」なのかもしれない。実際に会うことはほとんどないけれど、こうした形で存在しているから、もうそれで良いのかもしれない。