ゲド戦記

アーシュラ・K・ル=グウィンの手による、すばらしい物語。小説というより壮大な物語という方がわたしにはぴったりする。日本語で刊行されている本は6冊ある。1冊は短編集の形をとっているので、ここではこれをのぞいた5冊について書こう。このシリーズの原書はゲド戦記という題名ではなく、地海あるいは多島海の物語といった題名だ。冒頭に次のようなことばがある。

ことばは沈黙に
光は闇
生は死の中にこそあるものな
飛翔せるタカの
虚空にこそ輝ける如くに

Only in silence the word,
only in dark the light,
only in dying life :
bright the hawk's flight on the empty sky.
 
この言葉に象徴される物語が最初の3巻でえがかれる。

この物語の世界では「まことの名」を発することにより魔法をかけることができる。まことの名をまなぶためには深い知識が必要で、実体をしめすことばをさぐりあてなければならない。そして魔法をかけることは、均衡をこわすことでもあるので気をつけなければならない。

第1巻。野心にみちた若者ゲドは、その力を示そうとして黒い影を呼び出してしまい、影におびえる。影に追われるうちにやがてゲドは、逃げることをやめ、影と向き合い、追いかけはじめる。やがてとおい海で影を追い詰めたゲドは、影に対してまことの名をかけ、影と一体となる。そこでゲドが放った言葉は「ゲド」であった。自らのうちにある影をもとりこんだゲドは大賢人となる。心のなかにある影をみとめ、意識し、自分自身を知るものが大賢人となる。

第2巻。少女(テナー)は神殿で巫女としてそだてられている。名前をうばわれ、巫女としての役割をはたすようにそだった少女は、ゲドに出会い過去のくびきからはなたれ、一人の少女として自由な世界に出ようとする。けれど自由は同時に選択の重荷を負うことでもある。その重さとの葛藤の中で少女はあたらしい世界に出て行く。

第3巻。世界の均衡がやぶれ、魔法使いが魔法の力をうしなっていく。この異変を作り出したのはひとりの魔法使いだった。かれは死へのおそれから、ついに生と死の境界をこじあけ、永遠の生命を得ようとする。ゲドはひとりの若者とともに旅をつづけ、やがて、生と死の境にたどりつく。生とは死があってこその生であるとして、ゲドはわずかに開いていた生と死の境をとじる。世界の均衡をとりもどすが、このためにゲドはすべての魔法の力をつかいつくしてしまう。

第4巻。ゲドはすべての魔法をうしない、龍の背中にせおわれたまま故郷にたどりつく。そこにはすでに未亡人となっていたテナーがいた。ゲドはテナーのもとで傷をなおすとともに、女性を知り、彼女とくらしはじめる。テナーのもとには傷を負った少女テハヌーがいた。地元の魔女と領主にとっては魔法をうしなったとはいえ、元大賢人と巫女という存在は目障りだったため、暴力にさらされあやうくなる。テハヌーの力により二人はすくわれる。傷を負った少女は男からはさげすまれる存在だったけれど、もうひとつの世界の力をもっていることを暗示する。

第5巻。世界の均衡がやぶれつつあった。不思議な夢があらわれ、異世界に住んでいたはずの龍がおかしな動きをしはじめていた。王は敵対していた異教徒との婚姻をしようとしていた。物語はゲドの行動が無いまますすむが、ゲドの存在とその世界観が人々に安心をもたらしている。竜と人はかつて同じ世界にすんでいた。けれどそれが別の世界ですむようになったことが、あきらかになる。一方はものと富を得、一方は自由を得た。魔法使いは男がなるものとされてきたが、女性の大賢人の誕生の可能性が示唆される。異なる文化の世界の間の和解と融合がかたられる。一方、龍が住む世界と人の住む世界はいまふたたびわかれていく。人は自由を得られるのだろうか?若者は自由を求め自立し、世界の構造はあらたな均衡にむかってうごきはじめる。