めずらしい読書

この1ヶ月ほどたくさんの本を読み続けている。それも文学作品だ。しかも、めずらしく詩集やら俳句まで読んでいる。図書館にかよい、本を借り、読みつづけている。

このなかに詩人の高橋順子さんの詩集や、エッセーなどがある。詩人の書く文章は端正でうつくしい。日頃、実務的でそっけない文章を読むことがおおいので、とても新鮮だった。ひきこまれていった。

高橋さんは決して順風な生活をおくってきたわけではない。大学卒業後に就職した河出書房新社は2ヶ月で倒産し青土社にうつる。仕事をしながら詩作をはじめる。競馬が好きといったところもある。千駄木、谷中、根津近辺の静かな生活は一見おだやかなもののはずだった。けれどそれはそうはならなかった。端正な文章の奥にはどこか狂気が見える。美しい詩をうつしだす鏡のむこうに悪・狂気が見える。

ご主人の車谷長吉さんとの生活をえがいた「時の雨」(詩とドラマの2つある)は壮絶だ。二人は男48歳、女49歳で結婚する。お互い初婚だった。車谷氏には小説への強いおもい、狂気ともいえるものがある。文学への妥協をゆるさない核がある。不況のため、車谷氏は結婚後つとめていた会社をクビになる。経済生活は行き詰まる。そこで全ての時間を小説にかけていく。しかし仕事、経済生活、結婚生活、小説への熱中、そしてそのストレスのため心因性の心臓発作を起こす。さらに強迫神経症になる。手をひたすら洗う。スリッパが空を飛び、廊下がけがれて見える。アロエの葉から毒が吹き出ていると感じる。幻覚、幻聴、幻視がおきる。高橋さんは車谷氏を精神病院につれていく。

車谷は小説に悪を書き込もうとする。小説に向かうための意志の力はあらゆるものを抑え込み小説へとかりたてる。その力は肉体をもねじふせようとする。このとき精神の力は体に抵抗し、心臓を締め付ける。幻視、幻覚、幻聴をひこおこす。心身を消耗させる。

このとき高橋順子さんは車谷とおなじものを自分の内側にも見たのではないだろうか。この二人の生活には壮絶なものがある。

村上春樹は小説を書くために精神の深い井戸の中に入るという。闇の世界に入る力を維持するために彼ははしる。肉体と精神のバランスがくずれれば精神がもたないという。車谷とおなじものを見ているのだろう。(同様のことは誰にでもあるのだろうけれど)

才能をみがき優秀になることをすすめる人がいる。そんな自己啓発本が本屋にはならんでいる。けれど一つのことに打ち込むというのは車谷のように狂気にせまることでもある。学校やビジネスの世界で求めているのは本当にこれほどまでの先鋭的な才能なのだろうか。単に1冊の本を読んでそのとおりにすればうまくいきますといったノウハウ本で得られる程度の能力なのではないだろうか。文部科学省も、経済産業省も、学校も、企業も本質的な能力はもとめていないのだろう。

高橋順子さんは美しい文章のなかで、美しい世界をえがくとともに、壮絶な世界をもえがき出した。このところこうした世界にひきづりこまれていた。