老子

哲学、思想といわれるもののなかで中国の古代思想である老子が好きだ。これはプラグマティズムと相性がいいとおもう。古代中国と、現代のアメリカの思想で、時間的にも空間的にもずいぶんへだたったところで誕生したものだけれど、ちかいとおもう。

老子は自分でつくりだしているにすぎないおもいにとらわれるな、という。

生きる目的はなんだ、というような設問にはもともと関心がなかった。万人向きの一般的な目標や意味などないとかんがえていた。あるはずもない。それぞれが好きに決めればいいはずだ。夢中になれることはそれぞれちがう。好きなことに熱中できればいい。

「人がどうおもおうとかまわない」これは物理学者ファインマンの本の題名(原題)だけれど、そうおもう。自分が何をしたいか、するかがまずある。人がどうおもおうと、それでことがらが変わるわけではない。見栄、メンツ、それは実態ではない。おもいだけだ。そんなことを気にするのはむなしい。

どんなにゆたかになったとしても、食事の量はかわらない。一度に3食分は食べられない。ある程度歳をかさねてきたからおもうのかもしれない。いまのわたしは、生活できればいい。ゆっくりとねむることができ、食事ができること。犬や猫はいいなあとおもう。着替えがいらない。好きなところでそのまま休むことができる。猫ではないから、わたしには着るものが必要だけれど、すこしでいい。

老子に、夢からさめたとおもったらそれがまた夢だったという話がある。夢かうつつかまぼろしか。人とほとんど会わず、世界とのかかわりがすくなくなってきたせいかもしれない。

二人のピアニスト

二人のピアニスト

西村由紀江さんと中村由利子さんのピアノを聴いた。日頃からこのお二人の音楽は良く聴いている。心の奥底のやわらかな部分にそっとはいりこんでくる。

西村さんの本を読んだことがある。すてきな本だった。ちいさかったころ、人前で話せなかった。クラスの友達ともうまくあそべなかった。ただピアノに向かうときには、自分を表現することができた。こうした性格になったのには家庭の問題もあった、と書かれていた。やがて過酷な問題をのりこえて、つよいたしかな自分をつくりあげられたのだろう。現在の西村さんは明快な話をされる。そして西村さんの音楽には強靭だけれど、とてもやわらかなものを感じる。

中村さんの音楽は、西村さんに比べると硬質な印象をうける。硬質で洗練されたきよらかさだ。エリック・サティやドビッシーと同質のひびきを感じる。

子どもだったころに、このお二人の音楽に出会えていたらよかったのに、とおもう。とはいえ、このお二人と同時代に生き、音楽を聴くことができるのはしあわせだ。ふっと、心をひらいてやわらかな部分をときはなつことができる気がする。

暮らし方

子どもの頃、團伊玖磨さんのエッセーをよく読んでいた。そこにこんな話があった。團さんは葉山ですごしていたけれど、大きな曲は八丈島にある別荘にこもって書いていた。春、八丈島にわたり曲をかきはじめた。季節は過ぎ、秋がおとずれるころ、曲ができあがった。ガラス戸をあけると家の前には海が見え、斜面にはうつくしくひかりかがやくススキがあった。

村上春樹さんのエッセーにはこんな話があった。原稿用紙をもってイタリアにわたった。そこで毎日、作品を書いていた。やがてギリシャの島にうつり、そこで暮らしながら小説を毎日書いていた。朝はやく起き、はしる。家にもどってきて、午前中は、しっかりと小説を書く。とにかく書く。作品の良し悪しは気にせずとにかく毎日書く。書いていくうちに、日常の世界から、あちらの世界に移行する瞬間があらわれてくる。そうなるためには毎日机にむかいつづける。午後は夕食の準備をしたり、本を読んだり音楽を聴いてすごす。夜ははやめにねむる。

こうした文章を読んで、仕事というのはこうやってするものだとずっとおもっていた。大人はこうやって生きて行くのだろう、と。そして、いま、子どもの頃からおもいえがいていた暮らしをしている。

はしり、机にむかい、音楽をきく。あまり出かけることはない。人と会うことはすくない。新聞、雑誌、テレビはあまり見ない。ラジオは聞いているから世の中とのつながりは多少ある。

これがふつうの暮らし方だろうとおもっていた生活をしている。ささやかな、そしてたしかな手ごたえのある生活だとおもう。

しだれ桜

しだれ桜の木をながいこと見てきた。おおきな木で春になると薄いピンク色の花がきれいだった。柳の枝のようにやわらかでおおきくふくらんだ枝に花が咲く。風が吹くと花吹雪が散る。本当にずっとながい年月見てきた。

他にも見ている人がいると、おたがいに綺麗な花ですねと声をかける。けれど、この木がいたんできた。ここ数年、すこしずつ枝が切り落とされてきた。植木屋さんが、剪定をし、そろそろ寿命ですねと言っていた。

植木屋さんがこの木を切って、トラックではこんでいった。後にはあたらしいしだれ桜の木が植えられた。この木が、またきれいな花をさかせるだろう。

写真

子供の頃、写真が好きだった。撮るのも見るのも好きだった。けれど次第に写真を撮らなくなった。

写真を撮ったとして、いつ見るのだろう、とおもったのだ。

けれどサヘル・ローズさんの写真を見ていておもった。写真を撮ろうか。彼女がとった写真は彼女の心をつたえてくる。うつくしいものを見つけ出し、希望と夢をつかみとる。そうやってまわりの世界をとらえていく。心に感じるものがあったら撮ればいい。それをふたたび見るかどうか、は問題ではない。いま自分がいる世界をどう見るか。写真を撮ることでこの世界を見る目がはっきりとする。ちいさなカメラを持ってあるくのもいいかもしれない、とおもった。

寄附

昨年した寄附の税額控除用書類を準備している。自分自身であれこれできないとしても、解決されるといいなとおもう課題がある。そうしたことについてわずかだけれど協力をしたいとおもって寄附をした。

日本では寄附はすくないとおもわれているかもしれないけれど、ここ10年ほどの間に制度が充実してきた。世界的にも先進的な制度だとおもう。認定NPO、公益財団法人、公益社団法人といった公益法人についての寄附は税額控除される。ひとつの団体について2,000円以上の寄附分については半分ぐらいのお金がもどってくる。たとえば1万円寄附すると4,000円以上もどってくる。

こうした還付を受けるためには、それぞれの団体が発行する証明書をもらって、確定申告をしなければいけないけれど、制度がしっかりとできた。手順をおって手続きすればお金がもどってくる。もどってきたお金に、またいくらか追加して翌年寄附する。

公益とされる活動にはいろいろな分野がある。教育、医療、子育て支援、障害者支援、老人介護といった福祉分野。環境分野、科学技術分野などほんとうにいろいろある。東日本大震災の復興が記憶にあたらしいけれど、それ以外にもたくさんの課題がある。社会課題は国や企業などが対応するだけではない。人が気がつく前に、重要だとおもう人がいて活動をはじめる。やがて国や地方自治体が対応し、制度化するかもしれないけれど、その前にうごきはじめる。ただし、活動をはじめた人たちには資金が足りないから、寄附という形で協力する。

不登校のこどもたちの支援、奨学金、留学生支援、地球温暖化対策のための活動、植林、若い研究者の支援、人権問題など、気になる課題がたくさんある。たくさんの分野には対応できないし、高額の寄附もできないけれど、すこしでも応援する。ひとつの団体にずっとつづけて寄附してもいいし、毎年、分野や団体をかえて寄附してもいい。

わずかでも前に進むためにうごく。そして、つづけるために税額控除の書類を準備する。

やわらかな心

サヘル・ローズさんという女優がいる。イランに生まれ、壮絶な人生をおくってきた人だ。戦争で家族をうしない、瓦礫のなかからすくい出された。そして孤児院でそだった。だから正確な誕生日はわからない。やがて一人の女性に引き取られたけれど、そのことをめぐって養母は実家と喧嘩になり、家を出ることになった。二人は知り合いをたよって彼女が8歳の時、日本にきた。けれど、トラブルに遭い、ちいさかった彼女をかかえ養母は路頭にまよう。日本の小学校にはいってからも生活は困窮し、またいじめにも会う。学校では日本語が不自由で、ちがいが目立つ子は阻害される。二人は身を寄せ合って生きて来た。もちろん世界にはおなじような経験をしてきた人が大勢いるだろうけれど、活躍していることが見られるわかい女性が、このような経験をしてきたということに衝撃をうける。

この人が長年にわたり日々書いている文章を読んだ。芸能界で仕事をはじめたときから、日々の生活の中で感じる気持ちを書いた7年あまりの記録。おとなと一緒に仕事をはじめたとき、多くの人が違和感をいだく。そのときの気持ち。対人関係のなかで感じたこと、うまくいったときの高揚感、失敗した時の無力感、さびしさ、さまざまな感情をありのままに表現している。わたしには父がいないけれど、と率直に書いている。やさしく、向上心があるためにこそ、傷つき、なやむ。こころのやわらかな部分がそのまま表現されているので、読んでいてくるしくなる。丁寧にこころのひだをえがく文章ではなく、感じたことを象徴的に表現している。特定の人や物事を特定されることをさけるために、ありのままに書くことを避け象徴的な表現をつかっている面もあるけれど、彼女の内面ははっきりと感じ取ることができる。

朝の光に希望を見、夕方の光のうつくしさに感動し、前を向いて生きようとしているのがつよくつたわってくる。掲載している写真は彼女の心の表現であり、あらゆるところに希望とよろこびをを見出そうとする。

しなやかで感受性のつよい心でうけとめられた、わかい心のゆらめきが、率直に表現された文章だ。読んでいて、くるしくなるけれど、すばらしい文章に出会えた。

サヘル・ローズさんのスピーチをTEDスピーチとしてYou Tubeで見ることができる。そこで彼女は2つのことをすすめている。
・夢を持ってほしい。夢をもつことができるのは、とてもすばらしいことだ。
 世界には夢を持つことができない人もいる。かつてのわたしもそうだった。
 わたしの夢は児童擁護施設をつくることだ。
・人とたくさんハグしてほしい。そうして愛情を感じることですくわれる人がいる。