看取りの医者

ときおりお話をする先生がいる。医学部を出たのち、アメリカの大学の医局で10年ちかくすごし帰国した。

 

医学部の先生としてすごしながらも、長野県で高齢者医療も手がけた。「ぼくは最新の医学的知識をもっていると思っていました。ところが、高齢者にはそんな知識は役に立たないことがおおいのです。手術などをしても今度は手術したことによるいたみなどがのこる。手術をすることが必ずしも良いこととはかぎらない。老い、あるいは死に向かっていく人に、のこされた時間をかんがえるとどうすればよいのか。できることはあまりないのです。そうしたことに向き合った時に、ショックで、無力感にさいなまれ、帰りの電車で酒を飲んですごしました。そんな日々がつづいて、アル中になりかけました。」

 

「ところがある日、先生が来てくれるだけでうれしい、と言われていると人づてに伝わって来たのです。また、ある日、縁側で高齢の女性と縁側に腰掛けていました。認知症がはじまっている人です。でもその人がぽつりと言ったんです。こうやって先生と一緒にいて、肩を寄せあってすわっていることがわたしはうれしい。そしてその方は涙をながしたのです。」

 

「そのとき、ぼくはおもいました。できることはこれしかないのではないか。治療というのは体をなおすこともあるけれど、心がおだやかになることでもある。できるかぎりよりそっていくこと。最期のときに向かって行く人にとって大切なのはそうしたことなのではないか、とおもっています。」

 

「そして、いま、ぼくは看取りの医者と言われています。」

 

この先生は医者であるとともに、精神科医でもある。そして、哲学者でもある。死とむきあうなかで形づくられて来たふかい思想がある。