15才の夢

15才のころ、将来のことをかんがえた。もしお金も時間もたっぷりあるとしたら、一生をどうやってすごすだろう。まずそうやってかんがえて、充実感のある人生をえらぼう。好きなこと、熱中できることをしてすごそう。熱中できるものは数学だった。今ならば理論物理というかもしれないけれど、とにかくそれ以外にはおもいつかなかった。他のことはおもいもしなかった。

 

数学はなによりたのしかったし、一人でまなぶことができた。中学にはいってまもなく学校はきらいになっていた。成績はよかったけれど、学校の授業をきくことは時間のむだだとおもっていた。授業中もあまり授業はきかなかった。だから一人でできる数学は好都合だった。

 

そしてまた、人と一緒に仕事をしないでもすむかもしれないとおもった。ものごころついたころから、人に期待したり、たのむことはいけないのだとかんがえていた。人は自分とはちがう。相手に合わせて生きているわけではない。まず自分自身のことが第一のはずだ。とすれば期待してはいけないのだ。自分でできることは自分ですること。人に生の感情をぶつけるものではない。親、親族、クラスメートなど誰にたいしてもおなじだろうとおもっていた。だだをこねることがなく、手間のかからない子どもだったとおもう。学校では、大勢のともだちをつくりましょう、といったこと言われた。けれど一人ぐらい信頼できる人がいればそれでいいのだろう、それに今そんな人がいなくてもいいはずだ、とおもった。

 

人とのかかわりはすくないほうがいい。数学ならひとりでできるだろう、というのがもうひとつのおもいだった。

 

このほかの夢。世界のいくつかの場所にいってみたいとおもった。そして音楽を聴くことが好きだった。当時、無料で聴く事のできるオーケストラのコンサートに毎月行っていた。学校から帰宅し、着替えると電車で一人、出かけて行った。きっと大人になってもこうやって音楽を聴くことはできるだろう。

 

一人こつこつと数学をまなんでいく生活が、将来どのようなものになるのかわからなかった。収入などわずかかもしれない。それでも、音楽をきき、生きて行くことはたぶんできるだろう。そうおもっていた。