山古志

新潟県に行った。中越地震の情報を今につたえる中越メモリアル回廊を見た。そして中越地震震源である山古志の各地をあるいた。新潟県はここ50年ほどの間に1964年の新潟地震マグニチュード7.5)、2004年の中越地震(M6.8)、2007年中越沖地震(M6.8)、2011年長野県北部地震(M6.7)と4回の大きな地震の被害を受けている。日本は地震がおおい国なのだとあらためておもった。

地学は現在では必須ではない。けれど身をまもるための知識としての地学。地震津波、火山噴火の知識は日本ではおおくの人が身につけておくべきだろうとおもった。

去年は福島県の震災、津波放射線汚染の関連地域を見てあるいた。地元の関係者に案内してもらって放射線立ち入り制限境界まで行った。すでに東日本大震災のことすら次第に記憶から風化しようとしている。中越地震のこともおぼえていない人がおおいかもしれない。

福島ではこんな話を聞いた。避難して最初の日、食料がくばられた。量にかぎりがあるので、まず老人にくばられた。次の日、食料は子供達にくばられた。けれど仕事をしている若者たちにはこの2回ともくばられなかった。若者たちは老人を背負い、荷物を移動し、はたらいていた。かぎりあるものを配分するには一体どうしたらよいのだろうか。

地震津波、火山噴火がおきることは防げないとしても、被害を最小限にするにはどうすれば良いのか、さらに起きてしまった地域に対して何をすれば良いのか、そしてスケールはちいさいけれど自分の今後の生き方はどうすればいいのか。できることをする、それしかないのだけれど、おおくのことを感じた。