孤高の数学者

一人で数学を進める数学者がいる。こうした人について書いておこう。数学をすることに熱中すると(別の分野でも同様だろう)、それ以外の雑務にひっぱりだされることをきらう。普通の人でもみんな感じることだ。特に変人というわけではないだろう。

グロタンディーク。広い分野の数学の業績がある。特に代数幾何学をほぼ根底からつくりなおした。そしてEGAと呼ばれる代数幾何学の有名な教科書を書いた。(実は草稿をもとに、デュドネが完成させた。とにかく膨大な量だ。)頭は剃り上げ、ショートパンツであるきまわっていた。読みにくい字でメモのようなものを書きまくり、本を刊行していった。これ以外にも膨大な量の論文を書いている。ユダヤ人であったため、父親はアウシュビッツに送られ行方不明になった。本人は両親に捨てられ、里子に出された経験がある。その後、母親とフランスの収容所で第二次世界大戦をむかえた。収容所から学校にかよったと言うが、大学に入った時は知識としての数学はあまり知らなかったという。大学入学後は数学をほぼ一人でまなんだ。しかし彼は数学をまなぶというよりも自分で数学を作り出していった人だった。特徴は具体例から出発するというよりも、抽象的な世界で数学をつくりだすところだ。反戦運動と環境問題に関心をもち、仕事をしていたフランスの研究所IHESに軍からの資金が提供されていることを知ると、42歳でここを辞職し数学をやめた。フィールズ賞の授賞式には参加せず、賞金はベトナム解放民族戦線に寄付した。またその他の賞も与えられることになったが、受けなかった。やがて家族ともわかれ、ピレネー山中にこもり、菜食主義と瞑想を中心とした生活をおくり、亡くなった。

アンドリュー・ワイルス。数論の研究者。10歳の時にフェルマーの定理に出会い数学者になろうとおもったという。プリンストン大学の教授となったのち、最低限の講義などの義務をはたすと、あとは自宅で研究に専念した。人との交渉をほとんど断ち、7年間の間フェルマーの定理に没頭し、とうとうこの定理を証明した。(40歳をすぎていたのでフィールズ賞は受賞できなかった。)この期間、このテーマに取り組んでいることを人に言わなかった。研究の息抜きは、散歩、あるいは子どもにおとぎ話をすることだという。

グレゴリー・ペレルマン。ロシア人の幾何学者。ポアンカレー予想を解決した。子供の頃から数学の英才教育を受けた(こうした教育はロシアではきわめて異例のことだった。)36歳でインターネット上にポアンカレ予想を解決した論文を発表した。まねかれて、アメリカで講演をしたのち、ロシアに帰国した後は一切の職をやめ、自宅に引きこもった。フィールズ賞に決定したものの受賞を拒否し、クレイ数学研究所のミレニアム賞の賞金100万ドルもことわり、母親のわずかばかりの年金で暮らしているといわれている。キノコ狩りが趣味だという。

ラマヌジャン。インド生まれの数学者。インドで高校を卒業直前、数学の本を見せられて、数学に目覚めて独学した。地元のカレッジに入学したが、数学にしか興味をもたなかったため、奨学金を打ち切られ退学した。事務員として仕事をしていたが、オックスフォードにいた世界的な数学者ハーディに手紙を書き、ノートを見てもらった。それを見たハーディがおどろき、彼をオックスフォードに呼び寄せた。しかし菜食主義者であり、イギリスの気候になじめなかったため、インドにかえり32歳で死亡した。彼がのこした仕事は現在素粒子物理学などで見直されていて、未だに彼の研究の全貌はあきらかになっていない。

好きなことに熱中する生活はすばらしい。