伊藤和夫の英語

英語教育で画期的な業績をのこされた伊藤和夫さんについて書こう。伊藤はドイツ語の関口存男さんとならぶ人だ、とおもう。

伊藤は戦後の混乱期、洋書を読むことによって英語の力をつけたという。その才能から卒業時に大学教授になったもおかしくないと言われていたが、健康をそこなったために、予備校の先生となった。

伊藤は自分が英文を読めるようになったプロセスを明確にし、日本人が英語を読めるようになるための方法を体系化した。さらに、それをすぐれた教材として提供した。予備校の先生として、生徒が読みあやまりをしたり、そもそも英文を読めないのを見た経験が役立ったという。

まず、伊藤は英文をよむためのプロセスを体系化したものとして、英文解釈教室を出版した。しかしそれはすばらしい体系ではあったが、高校1年生程度から英語を読もうとする生徒のためのものではなかった。そこで伊藤は、初歩的な段階から教科内容がすこしずつ繰りかえし螺旋状にあらわれ、高度化していく本として、ビジュアル英文解釈を書く。これは体系と教育教材とは別であることを明確に意識し執筆した点で、画期的なことだった。伊藤は次のような興味ぶかいことを書いている。わたしの本では、本を読むためのプロセスをくわしく説明した。最初はそれを意識的に実行して欲しいが、やがてそれを意識せずにできるようになることをのぞんでいる。本の内容が読者の意識下にしずんでいき、自由につかえるようになることが著者の目標である。(フィーリングで読みましょう、とかいろいろな文章を読んでいればそのうち読めるようになります、というようなことが今だに言われるのとなんという差だろう。)

伊藤の方法は英文法を日本人が使いこなせるように実用化したものだ。(文法のなかでも形態論ではなく、統辞論を中心としている。)一方、伊藤は英文法そのものについてもすばらしい本を書いた。伊藤は、英文法はおおまかなことを知った後は、具体的な問題を解いて身につけるのが良い。漠然と本を読んでも身に付かない、という。これまた教材論としてすぐれた判断だ。そしてこの具体化として、英文法のナビゲータという本を書いた。ここではまず問題を解くようにし、動機付けが出来たのちに、くわしい解説をするようにしている。なお、この本よりも、もっと網羅的で解説がみじかい即物的な本としては英文法頻出問題演習を書いている。そして伊藤の英文法への基本的な考え方がもっとも端的にあらわれているのは英文法教室という本だ。英語における仮定法、あるいは独仏などの条件法や接続法に関する、伊藤のすぐれた見方がしるされている。

英作文はどうだろうか。英文を読み、書くためには基本的な表現を知らなければならない。これもまたおぼえ、わすれるということをくりかえしながら、英文を意識下にしずめておくことが必要だ。このために伊藤は鈴木長十とともに基本英文700選という本を書いた。700という数は多いようだが、日本語とは別体系の英語を身につけるためにはこの程度は必要だ。外国語の先生は、よく基本文をおぼえてください、と言うことがある。では何を使えば良いのか。伊藤はこの問題に対し、この本によって具体的に答えた。

伊藤はこれ以外にも多くの本を書いている。英語学習法についての本や、英語教育論(「予備校の英語」)も書いている。いずれも教育現場を踏まえ、かつ理論的なすばらしい本だ。

外国語をまなぼうとするとき、わたしたちは教材をさがす。そのときに基本となる本がある。中学英語に相当する入門書。これはたいていの外国語である。けれど、その次の段階になるとかならずしも適切な本はない。文法を身につけさせるための本、読解・解釈の本、そして基本構文の本。この3つは欲しい。こうした意味で伊藤はすばらしい定番とも言える本を書いた。(フランス語、ドイツ語、ロシア語など、英語の次にえらばれる分野でもこうした本は現在でもほとんどない。伊藤の卓越した能力がうかがえる。)すぐれた研究者であり、教育者だった。

予備校の先生であり、多くの本は受験参考書として出版されたために、必ずしも適切な評価をされているとはいえない。しかし、伊藤は英語教育においてきわめて大きな役割をはたした。