プリズナーNo6

印象にのこっているドラマで、プリズナーNo6というドラマがある。英国で製作されたもので17話からなる。

英国の諜報部員である一人の男が、ある日上司に辞表を提出し、職場を去る。そのまま自宅に帰ると、なにものかが家に睡眠ガスを注入し、男はねむってしまう。気がつくと見知らぬ町のベッドにいた。そこは「村」とよばれていた。

白いコテージのたちならぶ遊園地のような村。そこは端正で、暮らすには何の不自由がない。けれどその村を出ることはゆるされない。まちのあちこちには監視カメラがあり、中央で情報が監視され、記録されている。その村を支配するのはNo2と呼ばれる男だった。主人公はプリズナーNo6と命名される。プリズナーとは囚人だ。そこで主人公はさけぶ、「わたしはNo6ではない。名前をもった自由な人間だ。」けれどNo2はいう。「お前はNo6だ。なぜ仕事をやめたのか。情報だ、情報をよこせ。」自由な個人ではなく、単に番号付けされた存在だというわけだ。

No2は主人公をこの村になじませようとする。No6は、それをこばみ、情報を提供することもしない。この村を脱出するために、さまざまなこころみをする。一方、No2が仕掛ける方法は単なる拷問ではない。アイデンティティを混乱させ、自我をあやうくさせようとする。No6とそっくりの人間を登場させ、混乱させようとする。あるいは眠っている間に、夢の中に入り込み、精神を支配しようとする。あるときは、幼少期の記憶をよびださせ、それにより追い詰めていく。精神を別の人の体に移植させてしまう。村の選挙にだされ、村の代表にまつりあげられたり、村の中であなたは困る存在だと摘発され、コミュニティの力を利用し、追い詰めようともする。

けれど、どのような状況においこまれようと、No6は自我をたもち、自由な精神をたもつためのたたかいをつづける。No2の課題を乗り越え、生き抜く。生き抜くには、強い肉体、強靭な精神力、意思の力が必要なのだ、とわたしはこのドラマを見ていた。

最終話、かれはNo2とのたたかいに勝ち、No1と会う。そして村から脱出することに成功する。けれど、一体かれは本当に脱出し、自由を得たのかわからないままにおわる。

強い印象をわたしにあたえてくれたドラマだった。